E3系甲種輸送と西武の話題 こんにちは。 前回からかなり時間が空いてしまいました……。 まずは、月曜に撮影したこれを。 9681レ DE10 1155+アキR24編成 (※望遠が届かないためトリミング済) E3系の総合車両製作所への入場です。 E6系への置き換えが進むE3系ですが、製造が2000年代と比較的新しい車両はつばさ用1000番代の置き換えとジョイフルトレインへの改造が噂されています。 この甲種輸送に先立ち、R18編成が川崎重工に向け仙台港より出港しており、川重のものはJT化、こちらの入場はつばさ用への改造だと言われています。 車内設備の改造が主な改造内容かと思われますが、こまち用とつばさ用では編成両数が異なることから、あるいは車種変更や組成変更を伴う大きな改造になるということも考えられ、興味は尽きませんね。 なんにせよ、丁度授業の合間に撮影できて満足でした。 さて、私の本業西武鉄道のほうですが、このところいくつか大きな話題が出ていますね。 列番不明 3015編成 準急飯能行き (※こちらも望遠が届かないためトリミング済) L-Trainこと3015編成が秩父夜祭輸送明けの12月5日に横瀬へ回送されたとのこと。 西武において「横瀬へ回送」と言えば実質「廃車回送」を意味します。今回も、このまま搬出、解体されてしまうかと思われます。 これに先立って、引退記念切符が発売されていたようですので、突然のことというわけではありませんが、行こう行こうと思いつつ結局お別れが出来ませんでしたので、とても残念です。 さて、この3015編成の来歴を簡単に紹介しましょう。 この編成は1986年に自社工場である西武所沢車両工場で製造されました。 落成にあたり、工場能力の関係から6月にまず4両編成で出場し試運転を行いました。この4両で狭山線運用などに充当される編成もあったそうですが、3015編成が実際に4連で営業運転を行った経験があるかどうかについては未確認です。その後9月に中間車4両が落成し、8両編成を組成して本格的に運用を開始します。 すでに新宿線には4ドアの2000系が配置されていた時代に、3000系は3ドア8両で登場しています。これは池袋線は新宿線と異なり途中駅での大量乗降が少ないため、着席定員を増やすことを優先したもので、そのため3000系は当初池袋線に集中配置されました。 ですが、その後の輸送体系の変化により、3ドア車ではラッシュ輸送に難が出るようになりました。新2000系の池袋線への新製配置を始め、地下鉄有楽町線との直通運転開始によって6000系が大量配置され、また101系の一部が4ドアの9000系へ車体更新されるなど、池袋線も確実に4ドア主体に変化していきます。 3ドア8連でしか運用することのできない3000系は、次第に使い勝手の悪い車両となっていきます。1992年頃、6000系投入によって3015編成は新宿線へ転属となりました。 池袋線では基本的に、日中は池袋-豊島園または池袋-保谷でしか8両編成が運用されないため、本数過剰になってしまったのでしょう。4編成がひっそりと新宿線の運用に就きます。 新宿線は8連での優等列車の設定もありますので、「急行」を掲げて快走する姿もよく見られました。 さて、2010年、30000系の投入に伴って3015編成は池袋線へ転属となります。……が、なんということでしょう。3005編成を国分寺線に追い出す代わりに池袋線で運用を開始した3015編成は、一面真っ青な車体に「Lions」のロゴを掲げた「L-Train」となったのです。 こうして、生まれ故郷の池袋線へ舞い戻った3015編成は、その特異な塗装によって銀河鉄道999ラッピングの3011編成とともに一躍池袋線のスター(?)となりました。しかし、2013年12月まで、という期限付きです。 そしてこの度、横瀬への回送によって、先にラッピングが施された3011編成より先に引退することになりました。こうして、3015編成は27年という決して長くはない生涯に幕を閉じたのです。 思えば、池袋線用としてすでに時代遅れな3ドアで製造された3000系は、本来の投入線区池袋線を早々に追い出され、10年以上新宿線でひっそりと走り続けていました。しかし、3015編成はその地味な3000系というグループの中にあって、最後にL-Trainというド派手な塗装を施され注目を浴びる存在となったことは幸運であったでしょう。 3015編成。きっと、今後も西武の青い車両として、地味だけど派手なこの編成はいつまでも西武ファンの記憶に残ることでしょう。 長くなりましたがこのあたりで。 お読みくださった方、本当にありがとうございました! ……もう1件忘れておりました。 多摩川線用の101系の置き換え用の白い新101系第1弾として登場した247編成「春」号が武蔵丘車両基地へ回送されました。ラッピングの掲出期間がこちらも2013年12月となっていることから、おそらく出場時には白1色になっていることでしょう。 残念ながら撮影したデータを紛失しており、ここに掲載することはできませんが、多摩川線を一時華やかかにした四季ラッピング第1号がなくなってしまうのは惜しいですね。 と、この辺りで今度こそ。 長文失礼いたしました。 それでは、また。 PR