'14年5月12日の撮影:東急7910F入場回送 えぇ……。お久しぶりです。ひるぜんでございます。 大変長らくご無沙汰しておりました。 4月中はいろいろと忙しく、ブログ更新をすっかり怠ってしまいました。 このブログを心待ちにしている人もなかなかいないとは思うのですが、もしいたらごめんなさい。 あと、久しぶりにブログを開いたところ、アクセスカウンターがもう少しで2000PVに達しそうな数を表示しておりまして、とても仰天いたしました。 ほとんどは東横線の運用表を見に来てくれた人でしょうか? ありがたいですね。作ってよかったです。西武車・東武車等はしばらくお待ちください。有楽町線が絡むととたんに作業時間が増えるんですよねこれ。 忙しい忙しいとはいいつつも、ある程度の頻度でテツ活動はしておりましたので、近いうちに報告させていただければと。 予め時間のあるときに書き溜めておいて、予約投稿機能を使って毎日更新にしようかと考えております。 もしよろしければお付き合いくださいませ。 (なお、Feedly等のRSSリーダーでは、予約投稿を使用すると取得が遅れてしまうようです……。ご注意ください) それでは、まずは直近の撮影報告から。 なお今回から画像サイズを変更いたしました。 ブログ設立から半年と経たずに、容量の半分に達しそうな勢いでしたので確認してみた所、1枚あたり650KBも使用していることがわかりました。 さすがにこれは大きすぎるので、解像度を上げつつ相似比で半分にして、また従来サムネイル表示→クリックで元解像度表示としていたところ、そのまま記事上に元画像を表示するように変更します。 従量課金制通信や、低速度制限回線を利用されている方には申し訳ありませんが、トップページは今までどおり画像なしで行きますので、どうかご理解のほどよろしくお願いいたします。 今日(もう昨日ですね)は田園都市線へ。 最初は横浜線で205系でも、と思っていたのですが、たまたま開いたTwitterを見て回れ右。あざみ野駅へ。 執筆時点ではまた記事にしていませんが、2週間ほど前に同じ場所に来たばかりです。 まず来たのは8119編成。先日B修繕工事が終わったばかり。このころは曇っていましたが……。 8616編成が来る頃には晴れました。 ここは昼間のダイヤだとかなり被り率が高いです。 直接被らなくとも、撮ろうとすると後ろから上り列車が来ていて危ないので自粛、ということが多く、滞在時間の割に撮影枚数が少ないです。 他に同業者は2名ほどいらっしゃいましたが、列車に背を向けて完全に"待ち"状態。 1時間半ほど待っていると、突然同業の方が6~7名ほど登場。いわゆる”追っかけ組”さん方ですね。ご苦労様です。 さて、本命。 これです。7910編成の"デヤサンド"。 これでは赤帯なしの7910編成だということがわかりづらいため、多くの人が多摩川線内に行っていたのでしょう。比較的人数が少なく、平和に撮影できました。 先頭長津田方からデヤ7550+デハ7710-デハ7810-クハ7910+デヤ7500です。 2枚目。まだ7910編成と判りませんか。 ではこれで。ブレていますが、赤帯のない先頭部がお判り頂けるかと。 これにて撮影は終了、学校に向かいました。 さて、この7910編成ですが、これが実質的な廃車回送であるようです。 元東横線用1000系の改造によって登場した1500番代(?)の投入が開始され、先月にまず7908編成が離脱、代わりに1503編成(?)が営業を開始しています。 この度7910編成が離脱したことによって、さらにもう1本の1500番代が運転を開始することが想像できます。1度にたくさんの編成を投入すると万が一不具合があった時に困るので、次の編成の投入をもって一旦様子見をするのではないかと踏んでいるのですが、はたして。 どちらにせよ、元デハ7001という貴重な車両を失ったことに他なりません。 大手私鉄において、52年という長い時間走り続けたことは敬服に値するかと思います。 この編成の来歴を簡単に追ってみることにします。 東急7000系は1962年、アメリカのパッド社との提携により日本初のオールステンレスカーとして登場しました。この時の第1編成が(←渋谷)デハ7001-デハ7102-デハ7101-デハ7002でした。 その後、しばらく東横線での活躍を続けますが、のちに大井町線へ転属しました。 1966年の田園都市線に転属したグループ(1980年頃に東横線に再転属)のなかに7001編成がいたのかどうか、簡単に調べただけではわかりませんでしたが、いずれにせよ1985年時点では7001-7102-7103-7104-7101-7002の6連で大井町線の運用についていたようです(Wikipedia「東急7000系電車」)。 7000系は機器が老朽化していること、車体強度は新製時のままを維持していることなどから、機器を大きく変更する改造が順次行われ、7700系を名乗ります。 1987年から88年にかけて4+2の暫定編成を組み大井町線で運用されたのち、目蒲線ホームの4連対応化工事が完了した1989年に目蒲線へ転属。4両編成で運用を開始します。 この時の編成はクハ7910-デハ7810-サハ7960-デハ7710であったようです。 一部編成がその後3連に短縮されて池上線へ転属するなか7910編成は目蒲線での運用を10年続けます。 2000年に目蒲線が目黒線と多摩川線に分離されることとなり、7910編成もサハ7960を抜いた3連で雪が谷大塚配置となります。この時に抜かれたサハ7960は翌年に廃車となりました。 東横線、田園都市線・大井町線、目蒲線と各路線を転々としたこの編成は、最後に池上・多摩川線で足かけ15年を過ごします。 オールステンレスの先駆者7000系はまた、黎明期のVVVFインバータ制御方式を搭載した7700系となり、52年もの長い年月を東急に捧げました。一部編成に施工された日比谷線直通対応工事は行われず、おそらく新製時の甲種輸送を除いて東急以外の線路を走行したことはなかったでしょう。東洋製の機器を搭載していたために東横線時代もあまり急行運用に使用されず、ある意味つねに地味な立場にいたのではないでしょうか。 その中で、最後の2年間にクラシックスタイルとして注目を集めることができたのは幸いでした。 いまの日本の鉄道車両の多くは、この7000系の成功の上に成り立っていると言ってもおそらく過言ではないでしょう。鉄道史の1ページに確実に刻まれるべき重要な車両であったといえます。 長い間お疲れ様でした。 PR