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水島のキハを求めて(2014年GW遠征記)その2

それでは、GW遠征記の続きを投下……。

と、その前に。

昨日9月19日、西武3000系3005編成が横瀬へ回送されたとのこと。実質的な廃車回送かと思われます。
西武3000系は本年度中の引退が確実視されており、また3005Fは9月で検査切れとなるため、引退が近いことは周知の事実でありました。
運用線区が国分寺線中心ということでなかなか撮影に赴くことができず、記録に残すことがあまりできなかったことが残念でなりません……。

他の編成も先は短いと思われ、最後限りある時間を最大限活用したいと思います。

ありがとう、3005編成。





では気を取り直して遠征記です。

翌朝5時、硬い床の上で起床した私は、地下鉄を利用して新神戸へ。


始発の新幹線、みずほ601号で一気に岡山へ。


JR九州のN700系には初乗車となりました。


さてここで、今回の旅行の予定を書いてみます。

5/3夜 神戸泊
5/4  水島臨海鉄道撮影
5/5朝 京都にて友人と合流、観光
5/5夜 帰宅

今回の旅行は急に決まったため、京都で合流する友人4名のうち3名には知らせず、現地で急に私が現れることでサプライズとする……そんな計画で友人1名と打ち合わせたりもしていました。

まずは、水島でキハ20を1日堪能します。


115系D編成に揺られ倉敷駅へ。駅徒歩1分程度の場所に、JR駅と隣接して駅舎を構えているのが水島臨海鉄道の倉敷市駅です。

そこからさらに数分歩いたところに撮影できそうな場所を見つけ、待機します。


JR山陽本線と並走している区間で、かつてはここに操車場があったようで。
丁度、115系の7両編成がやってきました。

ここで、キハ20を待ちます。

調べたところによるとキハ20は朝に3往復の運用。岡山でみずほ601号から普通列車に乗り継げば丁度その1本目の列車に間に合うということだったので、このような行程と相成りました。
引退直前、倉敷駅からアクセス良好という条件なのに同業者はゼロ。他にいい撮影地を知っているということなのでしょうか……。

さて、時間。
遠くからDMH17系の重厚なサウンドが……













…………えっ?






随分近代的な外見のキハ20形ですね。JR西日本の体質改善工事でしょうか?
……なんて現実逃避したくなりますが。

突発的な代走でしょうか?
……いいえ。


キハ20形の運用は平日の朝夕。
そして、5月4日は祝日。国民の常識ですね。

焦りすぎていたようです。こんな初歩的なミスをするとは…………。


このままNDCを撮影するのも結構なのですが、今回はキハ20が目当て。
どうにかキハ20を撮影することはできないものでしょうか?

無い頭を絞ること数分。脳内に新たなスケジュール案が提示されます。

・今すぐ新幹線に飛び乗って京都へ行き、1日早いが友人と合流。(※既に友人たちは京都に到着している)
・夜まで同行した後、再び倉敷へUターン。
・5/5午前中にキハ20を撮影し、帰宅。

5月5日は引退を記念して、在籍する4両のキハ20形を全て使用した4両編成での運行が告知されていました。混雑が予想されるためこの日は避けるつもりでいましたが、背に腹は代えられません。

そうと決まればすぐに実行。丁度やってきた伯備線からの普通列車に駆け込み、岡山へ。
岡山からのぞみ、新快速と乗継ぎ京都へ。

サプライズを示し合わせていた友人Bにもあえて伝えず、現在地のみ聞き出すと嵐山へ向かうとのこと。

彼らより先に嵐山に到着し、しばらく暇つぶし。





嵐電を撮影すること40分。友人らが到着し、晴れて本当のサプライズ合流を果たすことができました……。

嵐電から降りてきた友人達を出迎えた時の驚き様は忘れられない思い出となりました。
(京都-倉敷間の無駄な新幹線往復という財布の悲鳴とともに……)


渡月橋、天龍寺などを観光・参拝し、(途中財布を亡くすなどのハプニングもありつつ)嵐山観光は恙なく終了したのでした。



さて、また倉敷に戻りますよ……。

……それでは、また。
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